基本的に壁打ち

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6年7か月の終わり

スマートフォンを変えた。6年7か月使っていた先代は、もう数年前から時折激しいちらつきが出ていて、電源ボタンを押しても画面がつかなかったり、ゲームの負荷に耐え切れず固まったりしていたので、買い替えはもうずっと時間の問題だった。容量がかつかつで、常に90%から95%を変動していたので、私はスクリーンショットやキャッシュの消去を絶やさずこの携帯を少しでも長く永らえさせようと必死だった。

先代に代替わりした日のことは非常によく覚えている。部活の小さな大会の帰り、なんの前触れもなく完全に沈黙してしまった先々代に慌てふためき、結構な額を払って手に入れたのが先代である。普段であればその先々代を修理に出し、復活をのんびり待つことができたのだが、よりにもよって私は翌日早朝から人と会う約束をしており、それもきっと明日から付き合うことになるな……という状況だったので、時間の猶予もなく、先々代との唐突な別れを迎えることになったのだった。まあ、今から思えば付き合う前からけちがついていたということで、その人とは1年たたずに別れた。

昨年夏、母の機種変更をオンラインで代行した。母の先代の携帯は私の先代よりもご長寿で、いよいよ常に充電していないとバッテリーが持たないというところまできてしまっていたので、動かなくなる前に変えようということになったのだった。もう充電器を必要としないことも、さくさくと動くことも、画質と音質の良さも、本当に快適そうでうらやましく、私もそのうち携帯を変えようと、動かなくなってしまう前に新しいものにしようと思い、そうして時折思い出したように新しいモデルの発売日とスペックを調べた。変えようと思う手順を踏みながら、そこに現実感はなかった。だって、まだ元気だから。

それでも、急に電源が落ちたり、着信に出ようとしたときにうまく反応しなかったり、そういうことは次第に増えていく。バッテリーの減りがどんどん加速していく。すぐに30%に落ち込み、すぐに100%になる。ケーブルや充電プラグを変えて、充電速度がいくらかましになったことを喜びながら、もう時間の問題かもしれない、と頭ではわかっていたのかもしれなかった。

結局、実物を見てようやく心を決めたのが5月のはじまり。在庫なしとなっていた色で、入荷に何週間もかかるという掲示板の書き込みを見ていたのでのんびり構えていたら、想定の何倍も早く翌々日には入荷の連絡が届いたので、あっさりと手続きをする運びとなった。その後もなぜかカードがロックされてしまうなど色々あったのだが、滞りなく新しい端末が手元に到着し、先代は無事に任期を終えることになったのだった。

いま、手元には先代と新入りの2台がある。自宅にはwifiが飛んでいるので、よぼよぼしながらも、先代は今も活動している。新しい端末を手にして私は浮かれて、設定をいじったり、無駄にカメラを起動したり、ゲームの動きの滑らかさに感動して、それでも先代の電源を落としてどこかにしまいこんでしまうことができない。まだ元気なのに、夏は越せなかったかもしれなかったけどまだちゃんと使えるのに、乗り換えたことへの後ろめたさのようなものがある。もちろんそんな後ろめたさを抱く必要はなく、携帯がおじゃんになれば仕事と生活に支障をきたす、そういうところまでこの社会はきているのだから、先代が完全に沈黙してしまう前に機種変更をしたことは正しい選択なのだ。それでも、私はこの先代をはいさようならと捨て去ってしまうことができない。下取りなどがあったらこんなふうには思わなかったかもしれない。手元にあるからこそ、引導を渡したのは他でもない私なのだと、そういう言葉がよぎってしまう。

オンラインショップで入荷待ちと見たときも、カードがロックされて確認画面に進めないときも、残念に思う一方でどこかほっとする気持ちがあった。一方で、やはり新しい端末はさすが最先端というだけあって本当に性能がよくて快適だし、新しいものが手元にくると嬉しい。そこまで物質にこだわるたちではないが、先代とは大学時代や旅行や海外出張をともに過ごしたので、その年月や経験にどうしても感傷がつきまとう。この6年7か月を思い、これから先の3年、5年を思う。いまや携帯は生活に密着しすぎているのだった。

感傷は感傷のままなくなりはしないので、寿命が尽きるより先に、無事に重荷を下ろしてあげられてよかったと思うことにした。実際、本当に助かっているのだし。誠意というのも変な話かもしれないが、後ろ向きでいては、これまでお世話になっていたことに報いることができない。ずっと頑張ってきてくれた先代には自宅でのんびりしてもらいつつ、ご縁があって手元にきた新入りと先代の双方に失礼のないよう、またあたらしく長い日々を送っていくことにする。