基本的に壁打ち

長文たち Twitter→hisame_tc

カウンターの奥だった

6月中頃に唐突に異動になり、はやくも11月も半ばになってしまった。ようやく今の業務に慣れた……というか、予見可能性とは?と思わず言いたくなってしまうような業務の時間軸になんとか適応できるようになり、ようやく一段落がついてゆっくりできる……とそんな折、再び無茶振りの異動の気配が浮上している。とはいえ、現段階では正規ルートで降りてきた話ではなくて、仲のいい秘書の子や同期が内々に「再異動になりそうな気配があるんだよね……」と教えてくれただけなので、このまま何事もなかったかのようにさらっと流れるのかもしれない。人事は水もの。

コロナ禍に入り唐突に在宅勤務が導入されて以来、勤務体制のことを色々書いてきたが、今年6月の異動を機にフル在宅からフル出勤(ごく稀に在宅)に変わるという両極端を経験して、自分のなかで結論は出たな、という感がある。あらゆるものには良い面と悪い面があるように、両方ともメリット・デメリット、向き不向きがあって、結局自分がどう思いどう選択するかに尽きるのだと思う。でもそれが可能となるのは、広く選択肢を示して個人に自由な選択を委ねてくれる体制側があってこそで、体制がそれを認めないならば私たちに自由は……なのだが……。私の会社では我々の祈りと直訴は届かなかったようで、原則出勤(回数つきで在宅を認める)になるんだそうだ。文書でのヒアリングにせっかくあんな長文をしたためて提出したのにな……。

現上司はバリバリの出勤派なので、仕事ちゃんとやっててもどう思われてるかわからんな……とか、昼休みの間に知らぬ間に打合せをセットしてさっさと終えてきてしまうなど、それはそれで色々なストレスがあったのだが、気を揉む方がストレス!!と割り切ってからは気にならなくなったように思う。というかストレスは仕事にとどまらず本当に無限にあって、この私が眠れなくなるなんて本当に重症だな……と思うような時期もあったのだが、もうその大部分を忘れてしまった。辛かったことや嫌だったことを覚えておけない。

結局自分の主観という土台の外側へ逃れることはできないので、私が慣れれば慣れるし、これはこれでありだな……と思えばありになる。で、それは誰に対しても言えることなのであって、私の主観や価値観や判断基準が人のそれと違うのは当たり前、というかそもそも同じであることは絶対にないので、そのためにも選択肢は多ければ多いほど良いのであり、かつそうあるべきなのだと思う。

現業務はストレスと理不尽なことが本当に多く、自分の利益とか保身とかしかおよそ考えていないであろう人々や、無責任な言葉や情報の濁流に振り回されてばかりなので、本当にほとほと疲れてしまった。少なくとも昨年の私は、それでもすこしでもよりよい明日を迎えるために、と思いながら仕事をしようとしていたが、私はもうそうやって手放しで「私たち」と思うことはできないし、思おうとも思えない。彼らが私の前に個人として立つことはないので、それを改めるべきこととも思わない。1対1の個人として向き合うことがあるのなら行うべきコミュニケーションは一定程度存在するが、そういうわけではないし、彼らは私という個人がいることなんて思いもしないのだから、私だって彼らのために心を割いてやる義理なんかないのだ。

そうやって線を引かないと私はもうやっていられない、と思う。だって私は自分のことが一番大切だし、自分を優先順位の一番においてケアできるのは自分以外にいない。大切にできるものには順序と限りがあるのだ。そういう選択肢を取ることで、私は私のメンタルやストレスに折り合いをつけてなんとかやっていくしかない。キャパシティは有限なのだから仕方がないことだ。

昨日の朝、同期から「今日の昼って空いてる?」と聞かれ、空いてるよーと軽く返したら妙に覚悟を決めたような顔で「じゃあ昼行こう」と言われたのでなんだなんだと思っていたら、注文をしたあとにさきの異動説を教えてくれて、お茶を飲むために耳に引っ掛かったまま揺れるマスクを視界の端にとらえながら、それであの表情かーと思った。

入社同期の彼とはいまの全ての仕事を共有していて、文字通り二人三脚でなんとかこの半年をやってきた。組むのが先輩でも後輩でも気は使うので、気楽かつフラットに分業できる同期と組めたことは本当にありがたかった。業務には本当に疲れ果てていても、いざ「元の部署に戻っちゃうかもしれないんだよね」と言われるとなんだか離れがたいように思うのだから不思議だった。早く元の部署に戻りたいと思っていて、でもこのままなあなあにされるんだろうなとも思っていたから、いま急に異動かもと言われても戸惑いしかない。ようやく慣れたのになあ、本当に落ち着かないかなあ、とどこか遠いところで思う。当事者のはずの私だけが蚊帳の外にいるみたいだった。

人事は水ものだしね、なんて話しながら、二人で牛タンを食べて、同期が「たぶん橘さんは想定より長くいてくれたんだと思う、俺たちは橘さんにきてもらった側だから引き留めることはきっとできないだろうし……」と言うので、思わず笑ってしまった。弊社の人事は本当に唐突だよね、なんだかなあ、なんだかねえ、と言いながら、カウンターのガラスの向こうで立ち上る牛タンを焼く煙を見ていた。

この話はこのままたち消えてしまうのかもしれない。わからないけれど、我々の仕事は社会というシステムを回す歯車を止める小さなネジみたいなもので、そんなネジのひとつにすぎない私の仕事をちゃんと見てくれている人は確かにいるんだなあと思えて、それだけでこれからもがんばれるなあと思った。

この一連の話を声で話すと必ず笑ってしまうので、あのとき確かにあったセンチメンタルな空気を書き残しておこうという、そういう日記です。