基本的に壁打ち

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セルフメンテナンス

最近、ハイキュー!!に人生を支えられている。

というのも、職場で色々あり、というか無責任に他人がかなぐり放り投げた相当ヘビーな仕事がなぜか締切4日前に進捗ほぼゼロの状態で私のもとへ不時着し、締切4日前だったので死に物狂いで仕事を終わらせ目処をつけて大幅ビハインドだったスケジュールを本来あるべき軌道に戻し、ようやく落ち着いてよかった~と外出から戻った当日の!まさに!午後から!!山場を越えた途端に!!!!発端の人が何食わぬ顔で職場に復帰してきてそれからは当人からも上司からも何のフォローもなく、いつの間にか最初からそうだったのように全部私がやることになったままで、そして今に至る。無責任で鈍感で無神経な人は気兼ねなく責任を放棄して他人に迷惑をかけてのうのうと日々を送れていいですね、と内心は悪態のオンパレードだが、不機嫌を無遠慮に表し周囲の雰囲気を損ねて他人をコントロールしようとする、そういう行いを自分がするということが絶対に嫌なので深呼吸とともに感情を飲み込んで「いつもにこにこ明るく何事にも前向き」という自分の外殻を保っている。いやわたしえらくないですか? めちゃめちゃえらいよわたし……よくがんばってる……えらい……(セルフ)日中で疲れきってしまうから帰りになると感情が処理しきれるキャパを越えてしまうんだよな。それでこんなものを書くはめになる。

社会人として尊敬していて女性としても憧れの管理職の人に先日お昼にカウンセリングしてもらったところ、多分そうやって色々思うところがあるって彼らは誰も気づいてないと思う、私も前にそういうことがあったから……と遠い目をしながら言われ、二人でもう笑うしかなかった。そんなことある? 管理職なんだからちゃんと管理をしてくれ……

基本的に、私より大変な思いをしている人はたくさんいる、足ることに目を向けないのは傲慢、私の状況がどうであれ他人には関係ない、ということを自戒を込めて自分に言い聞かせている。が、そうはいっても、私の状況でそんなことをぐだぐだ言ってはバチがあたるということは頭ではわかっていても、人間である以上感情は生じてしまうし私の感情の皺寄せは私にやってきてしまうので、自分の感情は自分でなんとか処理するしかない。

 

時を同じくして、2020年春。現在ハイキュー4期が放送中である。そうだったそうだった~と見ていたら続きが読みたくなって、漫画を出してきて、読み返したらあとはもうどんどん読み進め、そうすると各話タイトルに2がついてるものってじゃあ初出回ってどこだっけ? となって再度最初の方の漫画を引っ張り出し、そうしたらだんだんアニメも見返したくなってきて、もしかしてjcomオンデマンドにあったりしないかなって全話配信あるじゃん!? 本当に!? あとはもうひたすらに反復横飛びのごとく、アニメのここを見ていると漫画のあそこが読みたくなる、するとあそこが見たくなって、今度はあの試合が読みたくなって……ということをひたすら繰り返す土日と平日夜。なんて幸せ!!!! 土日は14時に起きて4時に寝てもいい、なんたって今日は休みなんだから~~!! という気持ちを満喫できるし、平日は平日でささくれ荒くれた心に何かにまっすぐに真摯に打ち込むことの尊さがしみわたり、自分のひねた思考回路を省みて謙虚な気持ちを思い出すことができる。高校生の彼らががんばっているのだから私もがんばろう、と日中の疲れを消化して明るい気持ちで翌日に気持ちを向けることができる。翌日の服を選びながらスケジュールを思い出して嫌な気持ちがふっと首をもたげても、タスクフォーカス、チャンスは準備された心に降り立つ、と自分に言い聞かせればこれも貴重な経験、悪いほうにだけ考えていたらもったいない、と素直に思える。起きていつもより丁寧にメイクをすればまあ会社に行くのもやぶさかではないみたいな気持ちになれるし、電車を待ちながらその日の天気と気分にあったアルバムを選んで聞いていたら、不意にこれはもしかしてあれのイメソン! と急にシナプスが繋がることもある。そうなったらもう様々なことに思考のキャパを割いている場合ではない。

 

わたし、好きなものがたくさんあってよかったなあ。漫画も好きだしアニメも好きだし小説もドラマも映画も舞台も好きだし、音楽聞くのもイメソン考えるのも好きだし、おいしいもの食べるのも好きだし、メイクするのもおしゃれするのも好きだ。好きなものがたくさんあると好きなもののことを考えるのに忙しいので、職場を出てまで様々な人と様々なことに思考を割く暇はない。自然と感情が循環する。停滞して澱んでいる暇はない。

ストレスに振り回されていると余裕がなくなって忘れてしまうけど、家族や友人や仲のいい先輩や前述の上司さんはちゃんと見てくれていて頑張りを認めてくれる。それなのに、そういうことに目を向けないのはばちがあたるなあと思う、そういう心の余裕を思い出すことができる。

ハイキューの子たちは、みんな少しずつ自分とリンクする部分があって、物語として作品としても胸が熱くなるし、ふとわが身を省みてああ本当にそうだなあとじんわりと考えることもある。もともとずっと好きな作品だったけれど、今のわたしにこそガッチリとハマったと、そう思う。努力は必ず報われるわけじゃない、そうとは限らない、でも自分がやってきたことは必ず自分をかたちづくる一部になる。そのなかで、自分のしてきたことが実を結ぶ瞬間がある、かも、しれない。

大学の期間は楽しかったけれど、試験はあまりにも壊滅的で一刻も早く大学を終わりたいこの牢獄から抜け出したいという気持ちで死に物狂いで卒業をもぎ取って社会人になったわけで、結局のところ、私は選んで今の場にいるのだ。降りかかる禍福を自分ですべて選ぶことはできないけれど、それでも目の前の様々なことにどう対応するのか、どういう姿勢で向き合うのかくらいは自分で決められる。自分の人生のかたちは、在り方は、自分で決めることができる。

何がそのときの自分にがっちりとはまるかは巡り合わせなのでその時々による。今、私は北くんに出会えて本当によかった。北くん本当にありがとう、北くんを好きだということに恥じない生活をしようと思うことで、張りぼてだとしてもせめてまっすぐに姿勢を保ちながらここ数週間の修羅場を乗りきることができました。

 

仕事という狭い枠にとどまらず、いま社会全体で様々なことが起こっており、気持ちの休まらない日々が続くけれど、地に足をつけて毎日の生活を送っていきたいな。本当に私の仕事の話なんて吹けば飛ぶような状況になってしまって……早くみんなで日常のニュートラルに戻りたいよ……。

お風呂や電車でぐるぐると思考がめぐって鬱々とした気分になるのにもいい加減飽きたので、言葉にしてアウトプットしたらロケットみたいに切り離して身軽になれないかなあと書き始めたのだけど、思惑通りとりあえず仕事のもやもやはすっきりしたのでよかった。読み返さずに一気にガッと書いたので、いま読み返すと冒頭とかかなり限界になっていてちょっとおかしくなってしまう。

みんながんばって日々を送っていこうな。それではわたしは、明日に備えて和久南戦を見ます。