基本的に壁打ち

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光ある人生・中編 ―「風が強く吹いている」感想

時間があいてしまいましたが、「風が強く吹いている」感想文・中編です。7話~13話の話を中心にしています。

前編はこちら。

 

■見ようとすれば見えるもの

箱根を目指すことを決め、7話からは実際に公認記録というハードルを越えるための戦いが始まります。はじめて参加する記録会に浮足立つ彼らにとって、箱根駅伝はまだぼんやりとした曖昧な目標でした。しかし、実際にレースに出たことでようやく蜃気楼のような目標は現実味を増します。一方、走はそれがどういうことかをわかっているだけにみんなの悠長さに焦り苛立ちますが、9話冒頭で清瀬が言及したように、それは箱根駅伝出場という目標を本気で考えていることの裏返しでもあります。

8話において、ニコチャンは自分から走に内心を打ち明けました。記録会で訪れたグラウンドで懐かしそうな表情で空気を吸い込み、数年ぶりにスタートする瞬間の感覚を味わって、彼は自分が捨てたものともう一度正面から向き合い始める。自分の体格が長距離に不向きであること、積み重なった日々の不摂生をわかっているから、みんなに隠れて食事制限を始めます。

感想・前編でも書きましたが、ユキはニコチャンをよく見ているから、ニコチャンが無理をしていることに気付いているんですよね。そしてそれを清瀬にも伝えている。清瀬もまた住人たちのことをよく見ているから、ニコチャンが一番いなさそうな場所にいることを見抜き、そして見つけ出してお花畑で彼を追いかけるわけです。

彼らはお互いに相手をよく見ているからこそ、様々なことに気づきます。ニコチャンもまた、清瀬とユキのことをよく見ています。「相手をよく見ているから気づく」ということは、言い換えれば「よく見ていれば気づける」ということです。竹青荘に入居したときからずっと一緒に生活している彼らのように、すでに関係性の基盤が強固な人々にとって、これはしばしば意識するまでもなくいつの間にかクリアされている命題です。しかし同時に、見ようとしない者、あるいは向き合い方がわからない者にとっては、この命題は目の前に立ちはだかる大きな壁となりえます。

ではどうするのかというと、非常にシンプルで、まずは相手を見ようとするだけでよいのです。今までは気づけなかったとしても、相手を見ようとすればそれだけで変わるものがある。相手を見ようとすることではじめて、気づけるようになるのです。8話「危険人物」、9話「ふぞろいの選手たち」、10話「僕たちの速度」で描かれていたのはまさにこのプロセスでした。

7話の記録会を経て、8話では反省会をはじめ様々な場面で口々に「チームっていいよね」という話をします。走は焦るばかりで周りが見えず、隈ができるほど自分のことも見えていない。そんな状況でタイムが伸びるわけもなく、葉菜子や王子に八つ当たり同然に苛立ちをぶつけてしまいます。その最たるものが8話ラストの、もし次の記録会も同じような成績だったらメンバーから外れてほしいというものでした。そしてよりにもよって、そこで「お願いします。チームのために」と言う。走がチームという言葉を発するのは、唯一この場面です。

みんなが口々に話す「チーム」は仲間や繋がり、同志、一体感といった意味合いであるのに対し、走のいう「チーム」とは名ばかりの建前、あるいは口実です。10人しかいない、誰が欠けても成立しない彼らというチームにおける「チームのためにメンバーから外れてほしい」なんて、あまりにも最悪すぎる。「チーム」という言葉の使い方が本当にずるい。しかし、それが走がこれまで身を置いてきた「チーム」というものだったのだと思います。実際、13話の回想では監督が「おまえが抜けてもチームはなんとかなる」と言っていましたし、走にとってはそういうものなんですよね。9人の口にするチームがどういうものかということ、走にとってのチームがどういうものかということ。その断絶が、この台詞で痛いほどにわかる。本当にすごい台詞、そして言葉のチョイスだと思います。

ここに至るまで走は速さばかりを追い求めているかのような発言をしていますが、裏を返せばそれはこれまで走が、スピードという価値基準以外が認められないなかにいたということです。13話で明かされた高校時代のように、そんな狭い世界で生きてきたから、みんなの努力を正面から受け止められない。違う尺度を認められない走に対して、9話で清瀬は「止まれ。そして景色を見ろ。それからゆっくり走り出せばいい。王子や、ニコチャン先輩がそうであるように」と声をかけます。止まった状態からしか、一歩を踏み出すことはできないのです。

そうして迎えた記録会で、精一杯全力で走るみんなの姿をようやく見つめることができた。これまでの走は、いつも先頭を走っているからまわりに人がいないし、誰もいない前しか見ていないから他人の考えていることがわからない、という状態でした。トラックの外からみんなの姿を見れば、誰もが真剣に走ることと向き合っていることがわかる。見ようとすれば、相手の姿がちゃんと見える。7話の記録会で走が体感した藤岡の強さを思い出すのは、藤岡も自分も彼らも同じだと気づいたということであり、走のなかで様々な尺度の強さがあるというシナプスが繋がりはじめたということでもあるのだと思います。

9話のタイトル「ふぞろいの選手たち」はドラマ「ふぞろいの林檎たち」のオマージュかと思います。「ふぞろいの林檎」が指す意味と同じく、前半では「長距離選手としての規格に当てはまらない落ちこぼれの彼ら」がタイトルの意味するところなのだろうと考えられます。しかし後半の彼らの姿を通じて、そこに「一律でなくてまちまちでも、同じ選手である彼ら」という意味合いが加わる。この回を見終わって全体を振り返ったとき、ネガティブからポジティブへとがらりと意味合いが変わるのが、本当にすごいタイトル設定だと思います。

これまで9:1や8:1:1の構図が多かった10人ですが、9話の帰り道でははじめて分断されることなく歩いていました。応援があるということの心強さを感じるムサの描写は、2区へと続く描写でもありましたね。「根はいいやつなんだよ」と走の頭をわしゃわしゃして間を取り持ってくれるニコチャン、とても年長者で……先輩……!!となるし……。

走が自分の内側から沸き上がるなにかに駆り立てられるように、必死にみんなの名前を呼んでいたということは、走がようやくちゃんとみんなの姿を見ようとした、正面から見始めたということです。そうしてようやくみんなが前進しはじめる……かと思いきや、清瀬が過労で倒れてしまう。わかっている身で見ているので、こ、この切り方ーー!!!!くらいで済みましたが、アニメ初見の方々の心臓に大変悪かったんじゃないでしょうか……こぼれた炒飯……

これまで清瀬を中心に動いていた彼らは、清瀬の過労をきっかけに自発的に動くようになります。色紙のコメント、それぞれのキャラクターがよく出ていましたよね。10話は、手を合わせる大家さんとそれに対する走と王子の「それじゃ死んだみたいじゃないですか!!」のシンクロ、我々の期待を裏切らない王子の「知らないのか……!?『だが断る』を」など、笑いどころもたくさんでした。

走と王子の関係性の変化の皮切りとなったのは、王子の「じゃあ、僕の速度で、話してよ」という一言で、これ以降二人の会話が増えていきます。私は特に二人の「漫画は逃げません」「鮮度が命なの!」というやり取りが好きです。わかる、鮮度は確かにあるんだよな……。犠牲者多数の葉菜子の料理に対して走と王子だけけろっとして「おいしいです」とはもっているところもかわいかった。走と王子が割とシンクロしているの、その部分だけ見るとただただ楽しかったりかわいかったりするのだけど、後半のページをめくる速度のシンクロへの布石なのかなと思うと……!一緒に生活しているということなんだよなあ……!!

先ほど、相手を見ようとすればそれだけで変わるものがある、相手を見ようとしてはじめて気づけるようになる、ということを書きましたが、清瀬は「向こうはきっと見てたと思うぞ。いつこっちを向くんだろうって」「みんながおまえの後ろを走ってるんだ。走が振り向かない限り、その位置からみんなが見えることはない」と言って、走にそのことを指摘します。

いつも先頭を走っているから、自分が目を向けない限りみんなの様子が見えることはない。けれど、それはただ見ようとするだけで見えるようになる。見ていなかっただけで最初からそこにある、とても簡単なことなのです。

「前髪上げると、見えるもんだね、前が」

「はい!」

「何を見てたんだ? 今まで」

 

アニメ『風が強く吹いている』第10話「僕たちの速度」

見ているのは相手に関心があるから。見ようとするのは相手を知りたいと思うから。ただそれだけ、意識の方向ともいえる視線を向けるだけで、関係性は変わり始めます。視線というコミュニケーションも、会話というコミュニケーションも、相手を知りたい、相手に自分を知ってほしいという気持ちから動き出します。両者がおたがいに向かい合い、歩み寄ることで、ようやく関係は構築されるのだと思います。

記録会で好タイムを出しそうだった走は、減速しながら王子に「前!!」と檄を飛ばしました。これは以前の走だったら考えられないことで、二人の歩み寄りをじっと見守っていた清瀬は、その変化にストップウォッチを握りしめる。並走しながら走は王子を見ているけれど、王子は走を見ない。見ているのは前だけ。

王子の言う「僕の速度」とはつまり王子の価値観であり、走の価値観とは全く異なる、というより、誰もが異なった価値観を持って生きています。価値観や認識のすり合わせは、楽器のチューニングに似ているなあと私は思っています。(音楽はまったく門外漢なのでコンサートの冒頭のイメージで話しています)それぞれの楽器の特性があり、音程は同じでも音は全く違うけれど、音程を合わせてひとつの演奏を一緒に作り上げる。人間もきっと同じで、相手と向かい合い、言葉や感情や態度や、いろいろなものを尽くしたコミュニケーションを経ることで、ようやく人と人は関係を構築することができるのではないでしょうか。

衝突とわだかまりの氷解、そして関係の構築。彼らの速度がようやく揃い始める、そういう10話のタイトルが「僕たちの速度」であるのが、また本当に見事だなあと思うのです。

 

■向き合うこと、進み始めるということ

さて、本作の一番の核とも言える「強さとは何か」という問いが満を持して投げ掛けられるのが11話でした。小説においてもアニメにおいても、「長距離選手に対する一番の褒め言葉はなんだかわかるか」「速い、ですか」「いや。『強い』だ」のやり取りは最も重要な箇所のひとつでしょう。

感想・前編にて、「強さ」とは同じものの存在しない無数の価値観を貫く普遍的な価値観、あるいは永遠に答えの出ない問いであると書きました。「強さ」に答えはなく、人によってその定義もかたちも異なる。これまで速さという画一的な価値観のなかに身を置いていた走が、強さとは絶対的なものではなく、様々な尺度を持つものであることに気づき始めたのは9話の記録会、仲間たちの走りを見たときです。11話ではそこから先へ進み、走りに収まらない、人としての様々な強さというものが描かれていました。

後援会募集運動、キングとのやりとりをはじめとして、神童はいつでも一貫して自分のやるべきことをしていました。11話にて、ホームページを立ち上げつつユキ、走と色々な話をするシーンは、彼の人となりがよく表れている場面だなあと思っています。

「このチームは神童さんがいなかったら始まらなかったし、続けられてもいません。強いです、神童さん」

(略)

「僕は、強くなんかないよ。ただやるだけ。何があっても」

 

第11話「こぼれる雫」

これは自分が大学生活を経たことで得た気づきなのですが、神童は唯一の3年生なんですよね。竹青荘で唯一同学年がいなくて(ニコチャンは先輩なので)、それがよりにもよって3年で、神童さんという。そう思うといろんなことがああ~~そういう……だから……となる……この話は17話のところでします。

ハッとなって「お茶を淹れてきます!」と言う走に対してユキが「やっと社会性が身に付いてきたか」と言いますが、このシーンを見て、清瀬と走が台所で行うやりとりの傍らに置かれている炊飯器は社会性、というか人と一緒に生きるということの象徴なのかなあと思いました。生きることは食べること、というのが持論なのですが、食事と生活において重要なのは何を食べるかよりも誰と食べるかだし、同じ食卓を囲むことはすこしずつでも話をすることであり、それはつまり相手を知っていくことなんですよね。だから私は4話と13話の終わりが本当に好き……。

王子の「確かにタイムは出したい、でも、それよりいまはとにかく走りたいんです。納得いくまで。ただ、それだけなんです」という言葉を聞いて、清瀬は「走りたい」という自分のシンプルな感情を思い出します。膝は全快しておらず、ゆっくり調整するしかない。自分も万全でないなか、メンバー全員の結果も一手に引き受けるプレッシャーまで背負っている。けれど、いまではもう、清瀬がみんなに何かをもたらすだけではありません。清瀬にも、忘れていたものを思い出させてくれる仲間がいる。最初の記録会では揃わなかった「箱根の山は」「天下の険」もいつのまにかぴったり息があうようになっている。彼らはもう既に、互いに影響を与えあいながら、各々が自発的に進みはじめています。

そして、12話からオープニングが変わります。あの、このタイミング、完璧すぎませんか!?アオタケメンバーと一人すれ違い、俯いて過去から目を背けてようやく顔を上げて振り返りはじめた第1クールオープニング、仲間と同じ方向へと向かい、暗闇を抜けて光へ出る第2クールオープニング、その切り替わりが12話という……最高すぎる……最高……私は第2クールオープニング「風強く、君熱く」が本当に好きで……永遠概念が刺さりすぎて本当にやばいんですよね!?永遠は一瞬のなかにこそあるんだよな……見返したくなったときのためにリンクを貼っておこう……


TVアニメ「風が強く吹いている」第3弾PV

微笑む二人、加速する走とその背中を見送る清瀬などというものを毎週見続けたうえであの最終話を迎えるの、本当にとんでもない。とんでもないんですよね……あの数秒に二人の関係性を……こんなにもあますところなく……

感想・前編で書いたとおり、仲間とちゃんと向き合う8話・9話・10話、強さという概念を得る11話を経ることで、ようやく走を追いかけてくるのは苦い経験ではなくなります。流星演出、走にとっては12話における進化の片鱗が最初ですが、清瀬にとってはいつだって、そもそも出会った瞬間から、走の走る道筋は銀色に光っているんですよね。運命が交差した瞬間、清瀬はもうそのことをわかっているけれど、走がわかるのはもっとあとなんだよな。ゴール地点……

記録会で清瀬ヘッドロックされていたり、みんなとともに公認記録をクリアした神童とユキに駆け寄ってもみくちゃにしたりと、走がちゃんと一員になっている!!!と嬉しくなるシーンが続いたところで望月が登場し、走にはまだ隠していることがあるのだと思い出させられます。単位を落とさない側と落とす側の天国と地獄や、いくらの海、夏合宿行きの車内など、大学生ならではの空気感はいまの彼ら10人だからこそ生まれるものでありながら、湖畔のランニングの俯瞰では再び9:1となっている。これまでと違うのは、望月の「仙台城西高校の蔵原くん?」を思い出しても走がそれから逃げようとしているわけではないということ、列が縦に延びているように、これまでの9:1の分断とは異なり少し距離を置いているだけだということです。

「足りなくないですか?」と走が気づくシーン、成長……!!!と胸がいっぱいになってしまった。二手に別れて神童とムサを探しにいこうというとき、走もしれっと残るほうに挙手しているんですが……みんなかわいいな……かわいい……。イチゴプロテイン入りカレーを味見して「意外といける……?」となってるユキ(本当か?)、走のカレーの醤油とマヨオプションや、東体大の焼き肉と肉なしカレーの切ない対比など、12話は全体的にほっこりする年相応の空気感に満ちていて好きです。このあとに超高カロリー13話・14話が控えているからそれをふまえてのバランスなのかもしれませんが……。

翌朝、寛政大がいることに気づいた榊の表情はこれまでとは全く異なるものでした。きっと榊は、清瀬がどういう選手かということ、全員が本気であることを記録会で体感して、今度こそ走が彼らと仲間として向き合い走ろうとしているのだとわかってしまったのかもしれない。たぶん人の感情の機微に聡いひとだと思うから……。榊、背景を知れば知るほどに彼もまた非常に魅力的なキャラクターなんですよね。鈍感ではいられない賢さや、器用になりきれない不器用さや、そういう色々なものがぐちゃぐちゃになったまま全部を抱え込んでいる人だなあと思う。榊への感情、9区出走前の走との会話で爆発したので、榊の話はそのあたりでしたいです。

榊に「満足か? やっとできた仲間と走るのは。仲良くかけっこできて満足かよ!」と言われてカッとなるのは、走が彼らと本気で走っているからであり、同じく本気である仲間を貶されたからです。今はもう、殴りかかろうとする走を止め、ずるずると影から日のもとへと引きずり出してくれる仲間がいる。榊はそんな走に対して「そうやって誰かの努力をぶち壊すんだよおまえは! 見てねえんだ、他のやつらのことなんて!」と感情をぶつけ、清瀬は「俺たちがいることを忘れるな」と走を諭します。走はもう、高校の頃の衝動的で孤独な自分から変わり始めています。これまで目を向けずにいた他者を見つめることができるようになったし、コミュニケーションとしての会話をすることもできるようになった。それでも過去がなくなることはない。自分自身と向き合い受け入れるということなしには、本当の意味で前へ進むことはできません。

 

■4話という伏線

13話「そして走り出す」は本当にすごい回でした。13話のブログでも書いたんですけど、あのノイズ混じりの音声と映像が差し込まれるの、あまりにも……すごくて……こんな演出のやりかたがあるんだ!!!という、いやもう本当にすごいんですよ……わたしは本当に13話が好き……

「生きるか死ぬかの勝負と思え」という監督の言葉と幸福な食卓、後輩に何も言わなかった彼らと「風呂、考えろよ!」と言ってくれるユキ、トラックという狭い世界と山道や高地というどこまでも繋がっていく広い世界。対比が本当にものすごい。13話、もう見返すのは6回目くらいなのですが、それでようやくユキと彼らの対比に気付きました。「先輩は色んなことを教えてくれるなあ」……。監督の言葉に彼らの食卓を重ねるの、非常に刺さる。走ることと速度が全てなら寛政大学陸上競技部の彼らはここにはいないし、走らなくたって死なないし人生は決まらない。でも高校生の彼らにはあの小さなコミュニティが世界だからそのことがわからない、そしてわからないことが悪いわけでは全くなく、それは視野が狭いから、閉鎖的なトラックの中だけが彼らの世界だからなんですよね。小さな世界の中だけで生きているからいろいろなことに気づかない、視野が狭いから思い至る前提がないというの、わかるもん……自分の経験としてあるので……構成が本当に丁寧なんですよね。そしてあの朝日ですよ。すごいよ……本当に……。

13話は勿論単独でもものすごい回なのですが、私は2周目で4話ラストとの対比に気づいていっそうアアーーー!?!!?となり、好き!!!!!という感情が爆発したのでその話をします。いや、4話と13話が繋がっているのとんでもなくないですか?とんでもない……すごい……ありがとうございます……!!!

さて、次々と清瀬に懐柔されていく竹青荘の面々の楽観を苦々しく思い、逃れられない過去と現実にもがく走の心境を表すように、4話は終始どんよりとした曇り空でした。そして川原で王子が榊に啖呵を切り、清瀬が走に「王子の言う通り、おまえはおまえだ。好きにすればいい。俺もそうする。だから、絶対に走る。おまえと、俺たち全員で」と語りかけるラストシーンを経て雲の切れ間から朝日が差し、彼らは彼らの家へと帰っていきます。走はそれぞれに会話しながら通りすぎていく彼らの背中を見つめ、ついていってもいいのかなとようやく思えたかのように、やっと自らも一歩を踏み出します。

4話と13話において、心情変化に伴う光の演出、朝食に帰っていく彼らという構図は同じながら、その印象は全く異なります。構図が同じだからこそ、彼らの心情と関係の変化が際立つ。4話では清瀬が「よーし戻ろう。メシが待ってる!」と呼び掛け、他の面々がそれについていくのに対し、13話では八百勝のおじさんが「おーい!朝飯が冷めちまうぞー!」と呼び掛けて全員で戻っていきます。4話ではその背中を見送るだけの走が、13話では「出たいです!箱根駅伝に、この10人で」と自分から言う。そんな走のことを、みんな向き合って追い付くのを待っていてくれる。そしてようやく、彼は軽やかに小川を飛び越えていくんですよ……!!!!

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このカットが本当に本当に大好きです。彼らの日々~~~~!!!!!となって……走がちゃんとみんなと向き合うことをやってきたからこそだし、真摯に向き合えばちゃんと応えてくれるのだ、という……みんなが走のことを待っていてくれる、そして全員で朝食へと向かっていくんですよね……雲から光が差す4話、夜明けから朝になる13話というのも本当に好きで……!!!ようやく一歩を踏み出す4話、そして走り出す13話なんだよな。

そして、この13話があるからこその、14話のこのカットなんですよね。

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最高だ…………本当に…………ありがとうございます…………!!!!!!!!

 

 

本当は中編で17話あたりまで書こうと思っていたのですが、時間がたくさんあいてしまったのでとりあえず書いたところまでで中編をあげることにしました。13話だから一応キリもいいし……。カウントしたら中編は9000字くらいでした。

後編は感情重視で書きたいからまた一気に見直したいな。それではこのあたりで。今回は以上です!