基本的に壁打ち

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6年7か月の終わり

スマートフォンを変えた。6年7か月使っていた先代は、もう数年前から時折激しいちらつきが出ていて、電源ボタンを押しても画面がつかなかったり、ゲームの負荷に耐え切れず固まったりしていたので、買い替えはもうずっと時間の問題だった。容量がかつかつで、常に90%から95%を変動していたので、私はスクリーンショットやキャッシュの消去を絶やさずこの携帯を少しでも長く永らえさせようと必死だった。

先代に代替わりした日のことは非常によく覚えている。部活の小さな大会の帰り、なんの前触れもなく完全に沈黙してしまった先々代に慌てふためき、結構な額を払って手に入れたのが先代である。普段であればその先々代を修理に出し、復活をのんびり待つことができたのだが、よりにもよって私は翌日早朝から人と会う約束をしており、それもきっと明日から付き合うことになるな……という状況だったので、時間の猶予もなく、先々代との唐突な別れを迎えることになったのだった。まあ、今から思えば付き合う前からけちがついていたということで、その人とは1年たたずに別れた。

昨年夏、母の機種変更をオンラインで代行した。母の先代の携帯は私の先代よりもご長寿で、いよいよ常に充電していないとバッテリーが持たないというところまできてしまっていたので、動かなくなる前に変えようということになったのだった。もう充電器を必要としないことも、さくさくと動くことも、画質と音質の良さも、本当に快適そうでうらやましく、私もそのうち携帯を変えようと、動かなくなってしまう前に新しいものにしようと思い、そうして時折思い出したように新しいモデルの発売日とスペックを調べた。変えようと思う手順を踏みながら、そこに現実感はなかった。だって、まだ元気だから。

それでも、急に電源が落ちたり、着信に出ようとしたときにうまく反応しなかったり、そういうことは次第に増えていく。バッテリーの減りがどんどん加速していく。すぐに30%に落ち込み、すぐに100%になる。ケーブルや充電プラグを変えて、充電速度がいくらかましになったことを喜びながら、もう時間の問題かもしれない、と頭ではわかっていたのかもしれなかった。

結局、実物を見てようやく心を決めたのが5月のはじまり。在庫なしとなっていた色で、入荷に何週間もかかるという掲示板の書き込みを見ていたのでのんびり構えていたら、想定の何倍も早く翌々日には入荷の連絡が届いたので、あっさりと手続きをする運びとなった。その後もなぜかカードがロックされてしまうなど色々あったのだが、滞りなく新しい端末が手元に到着し、先代は無事に任期を終えることになったのだった。

いま、手元には先代と新入りの2台がある。自宅にはwifiが飛んでいるので、よぼよぼしながらも、先代は今も活動している。新しい端末を手にして私は浮かれて、設定をいじったり、無駄にカメラを起動したり、ゲームの動きの滑らかさに感動して、それでも先代の電源を落としてどこかにしまいこんでしまうことができない。まだ元気なのに、夏は越せなかったかもしれなかったけどまだちゃんと使えるのに、乗り換えたことへの後ろめたさのようなものがある。もちろんそんな後ろめたさを抱く必要はなく、携帯がおじゃんになれば仕事と生活に支障をきたす、そういうところまでこの社会はきているのだから、先代が完全に沈黙してしまう前に機種変更をしたことは正しい選択なのだ。それでも、私はこの先代をはいさようならと捨て去ってしまうことができない。下取りなどがあったらこんなふうには思わなかったかもしれない。手元にあるからこそ、引導を渡したのは他でもない私なのだと、そういう言葉がよぎってしまう。

オンラインショップで入荷待ちと見たときも、カードがロックされて確認画面に進めないときも、残念に思う一方でどこかほっとする気持ちがあった。一方で、やはり新しい端末はさすが最先端というだけあって本当に性能がよくて快適だし、新しいものが手元にくると嬉しい。そこまで物質にこだわるたちではないが、先代とは大学時代や旅行や海外出張をともに過ごしたので、その年月や経験にどうしても感傷がつきまとう。この6年7か月を思い、これから先の3年、5年を思う。いまや携帯は生活に密着しすぎているのだった。

感傷は感傷のままなくなりはしないので、寿命が尽きるより先に、無事に重荷を下ろしてあげられてよかったと思うことにした。実際、本当に助かっているのだし。誠意というのも変な話かもしれないが、後ろ向きでいては、これまでお世話になっていたことに報いることができない。ずっと頑張ってきてくれた先代には自宅でのんびりしてもらいつつ、ご縁があって手元にきた新入りと先代の双方に失礼のないよう、またあたらしく長い日々を送っていくことにする。

植物みたいになりたい

あっという間に3月になってしまった。私は相変わらず、たいして変わり映えのしない日々を送っている。在宅勤務には随分と慣れた。メイクだけは毎朝必ずして、ウェブ会議のときだけ上半身をスウェットからある程度ちゃんとしたセーターやブラウスに着替えている。会社に行く服を着る機会がほぼ皆無になったので、今年の冬はクリーニング代が安くすみそうでうれしい。代わりに、近所に買い物に行くときの服に困ることが増えて、今年は外着と家着の中間みたいな、かわいくてらくちんで安い洋服をいろいろと買った。

逃げ場がないなあ、と思う。逃げ場がない。

人間はどんなことにも慣れていくので、在宅勤務のオンオフと、手の抜き方がうまくなった。仕事上でいろいろ思うところが生じても、まあしょうがないか、と流せる余裕を取り戻しつつある。その時はかーっと腹が立ったりするのだけど、しょうがない、しょうがないと唱えているとなんだかどうでもいいような気がしてくるので不思議だ。さほど腹を立てなければいけないことではない。低空飛行、省エネでいこう、と思うようにしている。仕事は果てがあるので、そうやって距離をとれるのだと思う。

2月、いろいろと重なって、鬱屈全開の文を書き散らしたまま放置していたのだが、なぜか右足の人さし指だけが腫れているので皮膚科に行ったらしもやけですねえと言われて、しもやけ!??!?となり、家にいてもしもやけになるんだ……と謎の感慨を抱くなどしていたらどうでもよくなってしまった。家にいてもしもやけにはなるらしいです。血行の悪さに起因するので、冷えが原因とのこと。今年多いんですよと先生が言っていたので、みんなも在宅で座りっぱなしだからしもやけになったりしてるのかな……と思ってしまった。私はもともと手足が割合冷たくて、なるべく暖かくしていようとしても、座っているとすぐに足先が死人のような色になってしまう。そのせいかあ、とわかるとなんとかせねばとも思うようになるようで、はっ!足が冷たい!と思ったときにはつま先立ちをしたり、ふくらはぎをもんだりして、生気を呼び戻すようにしている。つま先立ちで踵を上げ下げする運動、甘く見ていたが、これをやると瞬く間に血色が戻るのですごい。ふくらはぎが第二の心臓を名乗るのは伊達じゃないなと思った。

ついでに先生に泣きついたら、にきびの薬も出してもらえたので、肌の平穏を取り戻した。年明けからもう何をしてもどうにもならない状況が続き、やってられるかと半ば投げやりになっていたのだが、肌トラブルが少ないと精神も安定するのでやはり大事である。メイクという武装へのモチベーションも左右するし。薬がなくなったら面倒がらずにまた病院で出してもらおうと思う。

なんとかやっていけている。在宅勤務ができるのも、なんだかんだ生活を普通にやっていけているのも、ありがたいことだ。それでもこの閉塞感はなんなんだろう、と思う。生活をしていくということ。塵が積もっていくように、様々なことが積もり積もって、どこにも排出されないまま蓄積されていくような気がする。でもそんなのは誰にでも当たり前のことなのだった。そんなことを言っても仕方がない。

逃げ場がないなあ、と思う。でも、本当はそんなこともなくて、私が私の意志でそれを選ばないのだからそれは私に返ってくるべくして返ってくるものだとも思う。外界は変えられないのだから、自分で自分をうまく取りなしてやっていくしかない。仕事も、生活も、精神も、自分でうまく切り盛りしていくしかない。

しょうがない、しょうがない、と自分に言い聞かせながら、私はしのぶさんのことを思い浮かべる。しのぶさんがいてくれてよかったな、と思う。私が感情の起伏に振り回されるのは私が未熟だからだなと自分を顧みることができる。

去年の2月は仕事が地獄だったが、あの人が悪いというのが明確にあったからまだましだったかもしれない。慢性的に続くであろうこの先の数年。諦観と覚悟はどこか似ている。それでも生活をやっていかなければならない、という、それを諦観にするのか覚悟にするのかという、選択。一切周囲のことを考えずにネガティブを表出させられる人が心底うらやましい。私は絶対にそうはありたくない。でも、積み重なって振り回されて、そのたびにだめだなあと思う。私が未熟なのだ。そんなのは些細なことだと笑っていなせるようになりたい。だってそれを選んだのは自分なのだから。いつでも一定でいたい。機械のからだか、植物みたいな精神になりたい。

理想郷などなくても

2020年はあまりにも多くの出来事が起きた年だった。情勢的な意味でも、生活の範囲内という意味でも。あまりにも多くのことが変わり、変わってはそれに慣れて、そしていまも刻々と変わり続けている。私たちは、そういう日々のなかを生きている。

振り返れば今年はとくに、作品に触れて考えたそれぞれがふいに繋がる、そういう経験が多かったように思う。環境が変わり、考えるという行為の角度が多少なりとも変わったからかもしれない。

自分の人生に影響を与えるような出来事とは、いったいどれほどあるのだろう。それがどんなものかは人によって異なるだろうし、タイミングによってもなにを受け取るかは異なる。ある作品、人物、体験、それらとの最初の出会いががらりと自分の人生に影響を与えることもあれば、最初の出会いの時点では通り過ぎてしまったことに、あとから気づいていろいろなものを受け取ることだってある。そして、かつてなら抱いたであろう感慨を、この先ずっとうしなってしまうことだってあるだろう。

今だからわかること、今はまだわからないこと。運命はただ待つだけの者には訪れない。作品から何を受け取るかは、いつだって受け取り手次第だ。だからこそ、ふいにシナプスが繋がるような経験は、本当に得がたいものだと思う。

いつの間にか、もう師走だ。今年もいろいろなことがあった。はじめて大阪に行ったし、はじめてエヴァのコミカライズを読んだし、急に異動になったし、ハイキューと鬼滅は完結を迎えたし、MIU404をふまえて風に対する読解がまた深まったし、全親知らずを一気に抜いたし、ようやくオリュンポスをクリアした。リンボに間に合おうと思ってようやくオリュンポスに駆け込んだのに、平安京をやる前にクリスマスが始まることになってしまったが。仕事は今年も様々なジェットコースターがあった。

この文は、これまでに触れた様々な作品とその感想、そしてそれらをふまえて考えていることを書いている。そういうものなので、特定の作品にしぼった感想文ではなく、日記と感想の入り交じったようなものであることを申し添えておく。


6月に、日々に慣れていくという日記を書いたが、そこに至るまでには心のなかで紆余曲折があった。人には社会性というものがあるので、言うべきでないことは音にも文字にもすべきでないという自制はもちろん大いに働いていたが、 私は様々な事柄に心を乱され続け、寛容であると思っていた自分の 「寛容」は条件付きであることを知った。どうでもいい、そんなわけがない。だってこんな風に、見知らぬ誰かの、これまでだったらどうでもよかった振る舞いが、こんなにもダイレクトに自分に影響することなんてこれまでなかった。結局、私が自分のことを「大抵のことがどうでもいいから気にならない」と思えていたのは、その振る舞いや動向の影響が自分に及ぶことはないから、というだけなのだった。

それでも、どんなに窮屈でも、不満があっても、現状から抜け出したくても、どこまでいっても私は社会というものから逃れられない。広い意味の社会全体からも、 共同体という狭い意味の社会からも。他者と生きていくしかない。人は違うからだで生きていくしかないのだから。

そりゃあ、人類補完計画とかシンみたいに、「個」という概念がそもそも消えればこんなこと(こんなこと、というのはあらゆるものを指す。念のため)にはならないだろう。ほとんどの問題は解決、ないしは初めから発生すらしないはずだ。それはある意味では理想郷なのだと思う。すべてが統合された、全員が同じ方向を向いている世界。でも、そんなものはどこにもないし、ありえない。だからこそ、フィクションにおける普遍的なテーマでもあるのだろう。

もし、個というものがなければ、あるいはそれらが画一的なものであるなら、イレギュラーは常に生まれないだろう。それは意図したとおりに機能するプログラムのようなものであって、 閉じた世界だ。発展は「足りない」というある種のイレギュラーゆえに起こるのに。完璧などというものは現実には存在しないのに。

だから、私たちは絶対に理想郷に至れない。誰とも同じになれないからだで、他者と共に生きていくしかないから。いつだって「足りない」のその先を求めてしまうから。

 

日々の生活は地続きであるなかで、特定の事象に対する苛烈な感情を抱き続けることは困難だ。私は自分が寛容でないことを心底思い知ったが、またこれが日常となってしまえば、寛容さを特段苦労もなく取り戻すのだった。でも、だからといって私は私の不寛容をなかったことにはできないし、そういう一面があるのだということを忘れてはいけないとも思う。人でも作品でも事象でも概念でも、出会ったもの、考えたこと、それら全てが自分をかたちづくる以上は。

同じ作品に触れたとき、人によって感想のあり方が違うことを非常におもしろいと思っている。当然ではあるのだが、その作品の何が琴線に触れるのか、どういった部分が響くのか、それらは唯一無二だ。ある作品に触れたことで、別の作品に対する新たな感想が想起されることもある。そうやってまた少しずつ、自分がかたちづくられていく。

琴線に触れるということは、意識的であれ無意識的であれ、その部分になにかしら引っ掛かるものがあるということなのだと思う。勿論、なにかに触れることで、ふいに自分の視界が開けるような、解像度がぐっと上がるような、そういう経験をすることはある。それでも、自分のなかにそれを受けとるセンサーのようなものがなければ、自分には関係のないものと最初から切り捨ててしまえば、それらが響くことは非常に稀だ。

MIU404では、そういうきっかけというものをスイッチとして描いていた。きっかけ、スイッチ、それら自分の人生の方向性とあり方を少しずつ決定するものは、人かもしれないし、事象かもしれないし、作品かもしれない。私にはいま思い至らないものが、誰かにとっては非常に大きな、劇的なスイッチになるかもしれない。同時に、私も自分が知らないうちに、誰かの何かのスイッチになっているのかもしれない。望む・望まざるにかかわらず、他者と生きていくというのはそういうことだ。

他者と生きていくということは、同時に自分自身を見つめなければいけないということだと思う。これは私がこうありたいと思うものであって、人にこうせよと言うために書いているものではないのだが、感情の起伏には自覚的であるべきなのだ。常に戻るべきニュートラルを見失わず、言葉を尽くしたコミュニケーションを怠らず。日々刻一刻と変わり続ける世になってしまったからこそ、自分がそういう日々のなかで何を思い何を考えているのかということだけは、自覚的に意識していたいと思うし、そうであるべきだと思う。

不寛容さも、怒りも、苛立ちも、鈍感さも。望ましくない部分を切り捨てていくだけできれいなものだけを残すことができればどんなに簡単だろうと思っても、そんなことができるはずもない。望ましくない部分もうつくしくない部分も自分であるのだから、それらを受け入れて胸に抱きながら、それでもそういう部分を少しでも変えていけるよう、そうやって小さな試行錯誤を繰り返し続ける以外にないのだ。

 

どんなに他者の存在を疎ましく思っても、日々にさまざまな喜びや楽しみを感じるのも、他者の存在あってこそだ。たのしいだけではない、かなしいだけではない、しあわせなだけではない、つらいだけではない。いろいろなことがある、ただ一度きりの「今」を積み重ねて、私たちは日々を送っている。

私は「思い出なんかいらん」という稲荷崎の横断幕を本当にすごいと思っていて、そしてそれに気づけたのは初読時ではなく、仕事が大変なことになっていたときだったり、様々なストレスに振り回されていたときだった。私が本当の意味で、この言葉を自分のものとして受け取れたのはそういうタイミングだった。「思い出」ではない、すべてが今の自分につながっていて、ひとつひとつの今を積み重ねて、そうした営みが少しでもよりよい明日を迎えることに繋がっていくのだと……そういう、人生において大切な言葉のひとつになった。

誰とも同じになれないからだで、それなのに単体で生きていくことはできない、そういう不完全な存在でも、完全に他者を理解することは不可能でも、それでも自分自身を見つめる営みは、そして他者を理解しようとする営みは決して無駄ではない。他者と生きるということは決してよろこびだけをもたらすものではないが、それでも、だからこそそのなかで生み出されるものがある。

運命とは、という話は以前も書いたが、なにかひとつでも違えばそういうめぐりあわせは生まれないだろう。人との出会いも、作品との出会いも、音楽との出会いも。

人は、社会は、世界は、いつだって必ず不完全だ。だからこそ、いつでも今より先を夢見ている。そうして前進していく、前進していこうとする営みこそが、少しずつでも世界を変えていく原動力だ。だからどんなときでも、私たちが生きるこの日々はどうしようもなくて、そして同じ分だけうつくしくもあるのだと思う。

色々と考えをめぐらせたところで、結局個人にできることは本当に些細なことだけだ。でも、そういう自分の手の届く範囲のことを淡々と粛々とやり、一対一のコミュニケーションをやっていくということが、自分の生活、ひいては人生というものをかたちづくっていく。

理想郷、完璧、完全、そんなものなんてどこにもないけれど、今日もこの日々を生きていく。意味なんてないかもしれなくても、それでも、少しでもよりよい明日を迎えられるように。蝶のはばたきのように、めぐりめぐってあらゆることに関係していくかもしれないから。

理想郷などなくても。それでも、だからこそ。そうして生きていく。そうして、生きていきたい。いろいろなことをふまえていろいろなことを考えた、2020年の覚え書きである。

幸福は胃腸が生み出す

幸福というものについて語ることはとても難しい。

私たちはしばしば、幸福とはなんだろう、なにをもって幸せというのだろう、という問いに突き当たる。「幸せ」という言葉が含む意味はひどく曖昧で、自分が他者(それが生身の相手でも、創作上の存在でも)の幸福について考えるとき、その手つきには様々な慎重さが必要だ。

それでは、幸福というものについて確かに言えること、言ってもいいのではないかと思えることはないのだろうか。そんなことはない。私たちが日々を送るうえで幸福の前提となる事柄は確かに存在している。健康だ。からだの健康の状態は、こころの健康を得るための活動にも影響する。私たちはどこまでいってもこのからだから逃れられない以上、健康というものと向き合い続けなければならない。そして、健康とはつまり、胃腸の調子のことである。

 

胃腸の不調は本当につらい。2020年前半は様々なストレスのことごとくを食べることで発散していたので当然の帰結として体重は増え、趣味の域に達していたキックボクシングは情勢と多忙のせいで再開できず、となれば食べる量を減らすダイエットしかない。食べる量を減らしてもなぜか体重はほとんど変わらず、かわりに健全な胃腸はうしなわれてしまった。これまで健康優良児だった私の胃腸は、一切の動きを止めてしまったようだった。

それでも、かねてより全く改善されない肩凝りと脚のむくみ、そして胃腸の不調をなんとかやり過ごそうとその場しのぎのストレッチや筋トレをしていたのだが、いきなりガタがきたのか、あるとき完全に疲れでからだがどうしようもなくなってしまった。もうとにかく疲れている。寝ても覚めてもからだが重い。胃腸が動く気配がないので食欲もない。明らかに食べていないのに体重は減らない。そんな日々が続いていた。

床に伏して無理……となりながらツイートしたところ、便秘にはヨーグルトや発酵食品がいいよという優しいリプライをたくさんいただいた。その節はありがとうございました。毎日ではないけどヨーグルト食べたり牛乳飲んだりしてるんだけどな……やっぱりoikosはどちらかというとたんぱく質だからまずは違うヨーグルトのほうがいいのかな……などと思いつついろいろと調べるうちに腸活と銘打つサプリの数々に行き着いた私は、はたと気づく。ビオフェルミンが家にあったような気がする、と。

 

それから約1週間、こんなにも胃腸のことばかりを考えて過ごしたことはなかったと思う。結果、朝起きてまず水を飲み、明治ブルガリアのむヨーグルトLB81プレーンアマニ油を小さじ1杯入れて飲み、朝昼夜にビオフェルミンSを飲む生活に行き着いたのだが、もう、あの、本当に、効果がものすごい。次の日にはもう、あんなにずっと動いていなかった腸が、ちゃんと活動をしている!!! 腸がちゃんと動くだけで、疲れは取れ、からだは軽くなり、むくみも劇的に改善し、肌もなんかきれいになったような気がする。腸活は長期戦というのを読んだので、いやだ~~明日にはすべてが改善して体重は3キロ減ってくれ~~と思っていたのだが、体重はさておき翌日時点から本当に改善の兆しが見えた。ビオフェルミンブルガリアのむヨーグルトはすごい。明らかに自分でわかるくらい、調子がよくなっている。ビオフェルミンブルガリアのむヨーグルトは私の救世主である。

 

1週間がたち、あまりにも指数関数的にめきめき胃腸の調子が好調に転じていくので、感動のあまりこの日記を書いてしまった。胃腸の調子がよいだけで、気分が明るくなる。私にとって、気分が明るくなることは幸福への第一歩だ。つまり幸福は胃腸が生み出しているのである。

ビオフェルミンブルガリアのむヨーグルトは本当にすごい。便秘、胃腸の不調に悩む皆様はぜひ、ビオフェルミンブルガリアのむヨーグルトをご検討ください。

慣れるということ

人間というのは、慣れるいきものである。私たちはどんなことにも、遅かれ早かれ、多かれ少なかれ、慣れてしまう。一気にはじけるような、燃え上がるような熱量と温度の感情の質感を保つことは大変に難しく、少しずつ、感情の起伏はニュートラルに収束していく。それがよいことか、わるいことかというのは、境遇や対象や人によって全く異なるものだから、それを画一的に定めることはだれにもできない。ただ、生きていくにあたってどうしたってお腹がすくことと同じく、私たちはあらゆるものに慣れていくのだと思う。

私は、4月初旬にはあんなに在宅勤務を嫌悪していて、様々なことが重なって精神的にも相当参っていて、一刻も早くフル出勤に戻りたいと思っていたのに、やはり2か月もたつとあっさりこういった生活に慣れてしまった。基本的に、すべてのことがどうでもいいのだ。強く抗うほどの、そのことによる苦労や大変な経験を気にも留めないほどの、そういう強い動機とか、熱量がない。万事に対して、「こういうもの」だというのならそういうものなんでしょう、と思ってしまう、そういう性格をしている。

6月になってからは時折出勤する日がある、という程度で、在宅と出勤が6対4くらいの比率になった。出勤すればやはり比べ物にならないほど仕事はしやすいし、上司たちの会話を横で聞いて水面下で進行していることの情報収集ができるのは生身の良さだと思う。人とお昼を食べるといろいろな話を聞けて楽しいし、少し振り返って相談すればこまごまとした確認はそれで済んでしまうのは大変にありがたい。机と椅子は快適だし、思い立ったときに印刷ができる。

他方、もとより買い物が好きで、せめてもの快適さを追い求めた結果、在宅勤務でもさほど不自由なくこなせる環境が整ってしまった。こんな事態にならなければ、私はずっとワイヤレスのイヤホンは買わなかったと思うし、パソコンで議事録をとろうとは思わなかっただろうし、言われてみればもう何年も気になっていたポメラを買うこともなかっただろう。縁がなければ知らないままだった便利なものがこの世にはたくさんあって、それを使うか使わないかは、まず体験してみなければ決める前提にすら立てない。生活の場が侵されているという気持ちは未だにあるが、それはさっさと社用パソコンを閉じてしまえばいいだけの話だ。

これから、生活の在り方が移り変わっていくことは、誰の目にも明らかになった。もはや、世界は変わることを止められないのです、という会議での発言がずっと耳に残っている。実際、仲の良い友人たちは在宅勤務のほうが楽という話をしていて、物事には必ずよい面とわるい面があるように、どちらが良くて悪いかということはない。私だって、さんざん文句を言いながら、家からでなくていいという安心を享受していた。おそらく彼女たちの感想も、私のような感想も、どちらが珍しいということもないのだと思う。できるかできないかということ、好きか嫌いかということ、適しているか適していないかということ、それぞれの尺度があるので複雑だ。一応、在宅勤務はできているけれど好きではなくて、適しているわけでもないがどうにかならないわけでもない、とか、私の主観と状況はそういうことになるのだと思う。

フル出勤の方が自分には合っているなあとは思うが、時期が時期なので、私のぼんやりとした感情だけで毎日出勤するわけにもいかない。結果、毎日異なった時間に起きて毎日異なった状況で仕事をすることになり、家を混乱させている。家にいる日、いない日、朝早い日、お昼を食べてから出勤する日、残業で夜遅い日、午後はずっと会議をしている日、傍聴だけでミュートだから気にしないでいい日。申し訳ないが、仕方ない。私ですらこんな状況なので、大変な日々を送っている人々は本当に大変だと思う。

積極的にそれを選択することと、それを選択せざるを得ないことは、全く違う。早く平時に戻ればいいのに、といつも思っているけれど、そんな日はいつくるのだろう、とも思う。きっとこの先、あるいはすでに、様々な生活の在り方が目に見えるようになっていく。それはもうとっくにそうだった、誰の生活もいつだって同じものは全くなかったけれど、これからそれが目に見れる形で立ち現れてくるのだろう。そのとき、他者の選択をどうこう言う権利は誰にもないのだということを忘れずにいたい。いま、例えば仕事のやり方について、他人が在宅でもサテライトオフィスでもオフィスでもどこでもどうでもいい、と思っているけれど、この先切羽詰まったときですらも、そういう余裕をどうか持っていたいものだと思う。

どんなときにもお腹がすくように、私は買い物をして、娯楽に触れて、それなりに日々を今まで通り楽しく過ごしている。うかがうように少しずつ外出をして、気兼ねなく旅行に行ける日を待っている。私は化粧をして、仕事をして、食事をして、眠くてたまらないからだを引きずってお風呂に入り、眠る。私たちは慣れていく。慣れと日々の延長線上にしか、生活は存在しえない。

12万のちんすこうとプラチナ

2019年夏に出張でブラジルに行ったところ、いきなりANAのステータスがブロンズになり、散々悩んだ結果ええいままよ!!!!!と勢いでステータス修行を開始することにしました。9月1日深夜のことでした。出張の記録はひとつ前に書いています。

ステータス修行については諸先輩方がブログやサイトで解説してくださっているので詳しく知りたい方はそちらをご覧いただくのが良いのですが、ざっくり言うと、1年にどれだけ乗ったかによって貯まるポイント(プレミアムポイント)に応じて翌年度どれだけ大事にしてもらえるかが決まり(ステータス)、そのステータスを得るためにひたすら飛行機に乗るというのが修行です。ステータスを決める対象期間は1月1日から12月31日というのがミソで、この365日の間にステータスを得るに至る分だけ乗らないとリセットされてしまうんですよね。なので本当にやるならもう年内に乗りまくるしかなく、かといって先の予定が常に未定の部署だったので8月は修行をするか悩んでひたすらブログを読み漁っていました。インドに行くなら出張だけでワンチャンあるな……とも思いつつ、でもインド本当に行くかわからんし……これでインドがなくてせっかくのプレミアムポイントが無になったら悔やんでも悔やみきれないし……あとシンプルにみながすなる修行といふものを私もしてみむとてするなりしたい……、とぐるぐる考え、結局は真に失って後悔するものは機会!!!確実が一番!!!!こういうときのための労働!!!!!と夜中に一気に全旅の航空券を買いまくったのでした。

とにかく絶対に確実にプラチナになりたい……という感情が一番で、休みをバンバンとれるわけでもないのともうすでにブラジル出張で半分は越えていたこともあり、効率と確実性とあとせっかくだしやりたいことやろうぜ!という気持ちで沖縄プレミアムクラス日帰りを3回、広島エコノミー日帰りを1回という計画にしました。初回の沖縄だけ平日、あとは全部土曜日です。
プレミアムクラスは食事が食べられるのですが、そりゃ朝食昼食夕食あるよね~と思ってよくよく調べたら軽食の時間帯もあったり、おまけに10日ごとにラインナップが変わるそうで!!知らなかった~~~図ったわけではないのだけど毎回全部違うお食事が食べられて大変ハッピーでした。

 

①10月下旬 沖縄
行き 10:45 羽田 → 13:30 那覇
帰り 15:05 那覇 → 17:40 羽田

旅行でも出張でも空港へはいつもリムジンバスを使っていたんですが、今回初めて事故の渋滞に巻き込まれてちょっとドキドキした。せっかくだから一緒に行こうよお金は出すから……!と母を誘っており、はしゃぎまくって時間に余裕を持ちまくっていたので全然大丈夫でした。

少し前にツイッターでねんりん家のバウムクーヘンサンドイッチのツイートを見ており、どうしても食べたくて歩いて行ったんですが、そういえばお店があるの端なんだよな……カードラウンジのすぐそこと覚えていたから、歩き始めてからそうだ今日はラウンジ違うんだわ……と話していた。

バウムクーヘンサンドイッチ、はちゃめちゃにおいしくて!!たぶんお店に着いたのは9時半くらいだったと思うのだけど、すでに売り切れの種類もあってびっくりした。
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航空会社ラウンジ、もう何が最高ってビールが飲める!!!3年前くらいまでビール飲めなかったんですが一昨年近所のオクトーバーフェスト……というほど洒落たものではまったくなく……近所の広場にたくさんクラフトビールの屋台がきてくれるイベントに行って以来、もしかしてビール、おいしいのでは!?!!?と完全に目覚めましたね。平日朝からタダで飲むビール、最高~~~~!!!!!!

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機内で食べたお昼はこんな感じでした。

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10月下旬だから栗ご飯で嬉しかった。4時間あるとゆっくりシャンパン飲めるからありがたい……ナッツとかクッキーとかをおつまみでもらえるのも感動だった。あとプレミアムクラスだと上着を預かってもらえるのもありがたかったな。

那覇空港着から発まで1時間半しかなかったので空港の中を探検していた。というか、沖縄、暑い!!東京は寒めの日だったのであったかい格好をしてきてしまったのだけど完全に失敗だった。一番好きなプレーンちんすこうを買い、暑いしアイス食べたくない!?とはしゃいでアイス片手にラウンジでまたビールを飲み、そしてもう搭乗、という弾丸っぷりでした。

いくらプレミアムクラスの座席がゆったりとはいえ、朝からバスに乗り4時間飛行機に乗りまたすぐ4時間飛行機に乗るとなると、もう体が……痛くて……機内wifiになんとかつないで最寄りのマッサージを思わず予約してしまった。

帰りのごはんは軽食でした。
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ごはん、かなりしっかりお腹いっぱいになるので昼食・夕食のコンボだったら食べきれなかったかもしれないなとちょっと思いました。量的にはかなりちょうどよかった。
一緒にきゃっきゃできたのもあり、初回からとっても楽しかったです。

 

②11月中旬 沖縄
行き 15:25 羽田 → 18:10 那覇
帰り 20:00 那覇 → 22:20 羽田

2回目の沖縄は単身。前回の反省を活かして電車で向かったところ、もしかして電車でも相当近いのでは!?という気づきを得た。長期の大きいトランクでなければ電車も全然ありだなー。前に上司に空港へはバスという話をしたときに「バスだったら渋滞したら終わりじゃん」と言われていやそうなんですけど一応相当前に着く便にしてますよと返したのだけど、この前みたいなことも本当にあるんだなあと思った。

そうしたらまさかの山手線が運休の日で、メイクしながら偶然気づいてあっぶな!!!と慌てて別ルートを検索した。そういえば数日前から、高輪ゲートウェイ駅の改行に向けて線路切替工事やるから山手線と京浜東北線運休だよ!注意!ってツイート何度も見ていたな。全然関係ないと思っていたのが、いきなり高輪ゲートウェイ駅が身近な存在に迫ってきた感じがした。

余裕をもって到着して、ラウンジでビールを飲んで時間をつぶしてから搭乗。USBポートで充電できると思って油断していて、コンセントの頭を忘れるという痛恨のミス。機内ではHuluで「風が強く吹いている」を見直していたので電池ギリギリチャレンジを繰り広げていた。風は本当に何回見ても良いんだよな……。

行きは軽食でした。
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那覇空港では家へのおみやげにちんすこうを買い(前回買ったちんすこうは一瞬でなくなってしまった。大箱だったのに……ちんすこうは1本の満足度とカロリーが全く釣り合っていない)、ラウンジでオリオンビールを飲んでいた。オリオンビール、軽やかでごくごく飲めちゃうな。那覇のラウンジはUSBポートがあったので生き永らえました。

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帰りのごはん、めちゃめちゃ立派でした。おいしかった……。写真の写りの悪さはカメラの限界です。

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値段の関係でこんな微妙な時間になってしまって、帰りはもうバスで爆睡しながら帰ったよね。持ち運び枕は本当に長距離移動の快適さを劇的に変えてくれるので手放せない。ずっと使っていた枕にどうやら穴が開いてしまったのを機に買い替えたんだけど本当にめちゃめちゃ快適でありがたい。

余談ですが、この沖縄のあとに「最近橘さんしょっちゅう沖縄行ってるから出張かと思ってたよ」と友達に言われ、沖縄行ってただちんすこう買って帰ってると言ったら「3万7円のもやしのコピペ思い出した」と返ってきたのがすごくツボに入ってしまったので、タイトルはそれです。換算したら1本あたり約2500円でした。往復計8時間かけて買ったちんすこう……。

 

③11月下旬 沖縄
行き 13:00 羽田 → 15:50 那覇
帰り 18:20 那覇 → 20:40 羽田

ラスト沖縄です。過去最高頻度で羽田空港に通っているので完全に空港が見知った場所になってしまった。機内では引き続き風を見直していたんですが、19話「解き放つ時」20話「壊れても」を見て泣きすぎて鼻の調子がはちゃめちゃに悪くなりくしゃみが止まらなくなってしまった。風を見直していたのも、そもそもはこれを機に感想文後編を書くぞ~!と思ってのことだったんですが、見ていると感情と余韻が大きすぎて、なんかもう……これを文にするのは「野暮」なのでは……という気持ちになってしまい、結局まだ書いていません。ツイートばかりが積みあがっていく……。

今回は唯一昼食・夕食のコンボだった。ラスト沖縄だったのもあってテンション上がったな。行きの昼食はこんな感じでした。

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帰りの夕食はこんな感じ。
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これは那覇着陸直前に見えた海。天気がめちゃくちゃよくてすごくきれいだった!

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今回は、リクエストのあった立派なごろごろした黒砂糖と、試食してあまりにもおいしかったバウムクーヘンをおみやげに買った。黒砂糖、砕いて会社のおやつに持っていっていたんですが、ひとかけらでもかなり満足できるので良いです。

 

④12月上旬 広島
行き 13:20 羽田 → 14:50 広島
帰り 17:05 広島 → 18:30 羽田 

いよいよラスト~!これまで自分は1人でどこかに行くことに全く抵抗がない人間だと思っていたんですが、抵抗はないものの、旅行とかお出かけは誰かと一緒に話したり食べたりする方がやっぱり楽しいなあ、と改めて思い、ひとつ発見でした。

広島はエコノミーだったので、お店でお昼を食べてから搭乗。相当おなかがいっぱいになったのと、クラフトビールを飲んでいい感じに酔っぱらって、機内はうとうとしていた。

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空港ではせっかくだからお好み焼きが食べたい!!!と前々より母と話していて、フードコートでお好み焼きを食べた。すごくおいしかった~~~!!!おなかいっぱいであんまり入らないな……と思っていても、一口食べるとどんどん食べられてしまう不思議。我々の食欲……。

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広島空港、もみじまんじゅうの自販機があって感動した。八天堂くりーむパンがあまりにおいしそうで、たくさんおみやげで買ってしまった。冬だし大丈夫じゃない?と話して最初は保冷バッグは買わなかったのだけど、ベンチで我慢できずにひとつ食べているときに、やっぱり買ってくる!と母が保冷バッグを買いに行ってくれた。

満腹の極みで帰りの機内もうとうとしていた。これにて修行完了!

 

しばらくしてプラチナステータスのカードが届きました。結局インド出張はなくなってしまったし、蓋を開けたら異動にもなり、こんな状況にもなってしまい、本当にやっておいてよかった~~~と事あるごとにかみしめています。

2020年2月に親知らず抜歯手術の無事を祈願して大阪の歯神社にお参りに行ったときは(日本で歯専門の神社は大阪にしかないそうです)、修行で貯まりに貯まったマイルで往復航空券もホテルも取れたので、もう、実質無料どころのさわぎではなくない!?修行、とても楽しく貴重な経験だった……!

座席アップグレードのポイントも貯まったので今年いろいろ旅行するのを楽しみにしていたんですが、こんな状況になってしまってうわーんと思い、模型みたいに並ぶ飛行機をニュースで見るたびに切ない気持ちになっていたところ、ANAより2021年度も2020年度のステータスを継続してくれるとの連絡がありました。ANA、ありがとう、収束したらたくさん乗るね……!!!

 

出張映画録2017~2019

4月から異動になったのですが、異動と同時に強制在宅勤務に切り替わってしまったのでできる業務が極端に少なく、結果的にニュースを流し見ながらバランスボールに座ってメールとチャットを見守る日々を送っています。……と下書きで書いていたはずが、その後怒涛の仕事が滑り込んできて今週はずっとバタバタで、ようやく区切りをつけたところです。

先日、在宅勤務、最悪!!!という日記を書いたのですが、人間とは慣れるいきものなのでなんだかんだと在宅のリズムが形成されつつあります。その後家族や友人に話と愚痴を聞いてもらうなかで「結局、弊社トップ層と総務が共通見解のアナウンスを一切出さず、『各自でなんとかいいかんじでやってくれないかな~まあ体制もデバイスも不足してるけどきっとみんなそれぞれでやりくりしてなんとかしてくれるでしょ!よろしく!』という甘えた姿勢が透けて見えるからこんなにもムカつくのでは?」という結論が出たので、私個人のメンタルの問題は一応の解決を見ました。ちょうど総務からweb会議に関する意見を聞かれたので(それも弊社全体ではなくほんのいくつかの部署に対してだけだが)(それもどうなの?)急ぎの点については丁寧にお気持ちをお送りするとともに、年度末のキャリア面談のときに適切にお気持ち表明フォームにお送りできるようメモをしたためるなどしています。

……と下書きでは書いていたんですけど、月曜日から毎朝オンラインビデオ朝礼が始まるらしくてゲーッとなっている。毎朝その5分のためにコンタクト入れるの、面倒すぎる……。

 

異動前は、入社から3年間、ときおり海外出張に行かせてもらえる部署にいました。いろいろとおもしろい経験もさせてもらったのと、機内で見る映画を毎回の楽しみにしていたので、良い機会だし出張の記録を振り返っておこうという記録です。

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■2017年7月 大阪(日帰り)
・いろいろあって空港の謎動線に入れてもらったのだけど、緊張しすぎて立派なお皿が壁に飾られていたことしか覚えていない。
・更地の視察をした。風が強すぎて説明の声が全然聞こえなかった。
・途中、かの有名なインテの横を通り、行ったことがなかったのでここが!とテンションが上がった。
・帰りの新幹線を待つ間、みなさんがおみやげを買うというので大はしゃぎして職場と家に大量のおみやげを買った。家用に堂島ロール(with 保冷バッグ)を買い、東京でも催物場とかで買えるのに!と家族にめちゃめちゃ笑われた。たしかにね。堂島ロールはやっぱりおいしかった。

 

■2017年12月 台湾
・初の海外出張。にもかかわらず、機材トラブルで出発が4時間くらい遅れ、部長とふたりでお昼を食べ、ラウンジで談笑することになった。部長はお昼からビールを飲んでいたけどさすがに恐縮してしまって一緒には飲めなかった。
・エピソード8が公開されて見に行くのを楽しみにしていたので、機内では復習として「スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒」を見た。長い映画は時間との戦いだよと聞かされていたあまり離陸前から再生を開始してしまい、アナウンスで序盤はぶちぶち途切れてしまっていた。
・到着後すぐ夕食会になってしまったので、空港で食べたお昼、ラウンジで食べたお菓子、機内食、そして夕食と食べ続けになってしまってお腹が苦しかった。ごはんはすごくおいしかった。
・部屋が謎構造で、ドアの横にいきなり湯舟があるのだけど、シャワーの扉を開ける向きに湯舟があるから一度出てからバスマットをずりずりやって移動しないと湯舟に入れなくて1人でウケていた。
・帰る前の夜、上司ズが小籠包を食べに連れて行ってくれた。初めての海外での仕事で緊張していたのですごく嬉しかった。帰りにみんなでスーパーによって、私は台湾ビールを買って帰った。
・ちょうどFGOの新宿をプレイ中だったので部屋でシナリオを進めていた。これは台湾ビールを触媒に李書文先生を引こうとする図。(だめでした)

・帰りの飛行機で何を見たか思い出せないのだけど、フレデリックの「TOGENKYO」をずっと聞いていた気がする。

 

■2018年8月 台湾
・「孤狼の血」を見ました。

・上司から急に内線きたから何事!?と思ったら足つぼマッサージと小籠包食べに連れて行ってくれた。感謝!!
・そうしたら目覚ましもかけずに完全に寝落ちしてしまい、翌朝11時にチェックアウトして合流の約束だったのに起きたら10時52分だった。人間は限界を突破するとゾーンに入るのですべてがスローモーションになり爆速で動けるようになる。顔洗ってメイクして着替えて荷造りして、奇跡的にチェックアウトに間に合った。なんで?
・とはいえ到着して荷物を改めるまで眼鏡をちゃんと持ってきたか気が気でなかったのでずっとどきどきしていた。
・2日目以降のホテルには大浴場があったのだ。ほぼ貸し切りで最高だったな……気持ちよかった……。
・前日まで行き先が全く未定の視察(という名の観光)が最終日に入っていたのだけど、前日夜に自然公園に行くことが明らかになる。スーツとパンプスしか持ってきていないが!?
・日焼け止め塗りまくって覚悟を決めて行ったら蝶が乱舞しており(私は本当に飛行タイプの虫がだめ。特に蝶が……いちばん……)私の虫嫌いを知っているえらい人々に爆笑されながら心配していただく。日傘代わりに貸してもらった雨傘で視界を防御しながらなんとかやり過ごした。超がんばった……。
・縄のみでできたつり橋をパンプスで渡る羽目になったのはさすがに予想外でしょ。
・ホテルに戻ってチェックアウトまで1時間ちょいしかなかったのだけど、どうしてもお風呂に入りたくて猛スピードでシャワーを浴びた。余分にブラウスたくさん持ってきておいてよかった。
・ついに免税店で自分用のおみやげを買ったわよ!!「だから私はメイクする」の感想日記でも書いたやつです。

・帰りは「今夜、ロマンス劇場で」を見た。きっとこうなるんだろうな~ってわかってるし実際その通りなのに泣いてしまうんだよな……。昼と夜の間を飛んでいくような窓の外の景色と相まってすごくきれいな映画だった。
・台湾の方々、本当に気の良い方々で、大量のおみやげとともに帰宅した。次は旅行で行きたいな~!!

 

■2018年10月 中国・北京
・東京で別の仕事のヘルプをやってから空港に直行することになり朝からめちゃくちゃハードだった。
・ラウンジで食べた海鮮丼おいしかったな。お酒飲まない上司が「ビールもあるけどいいんですか?」て笑いながら言ってきたので本当にいいんですか?と3回くらい念押ししてからカシスソーダを飲んだ。
・その後上司がシャワー浴びに行ってしまったのでケーキも食べていたらしい。食べてばっかりだな……。
・行きは「羊と鋼の森」を見た。静寂が本当にうつくしくて、映画館で見るべき映画だったなあと思った。

・仕事はいろいろな出張の中で一番激務だったので、1時に部屋に戻ってお風呂に入るための仮眠をとり3時に寝るなどしていた。
wifiルーターが途中うんともすんとも言わなくなってしまい、慌てて説明書をにらみながら解体して直した。直って本っっっ当によかった……。
・チェックアウトが朝の5時30分だったので、空港に向かうバスで一本満足バー(チョコ)を食べていた。バスの中に響き渡るクランチの咀嚼音……。
・帰りは「オーシャンズ8」を見た。みんなきれいでかっこよくて美しくてきらびやかでテンションめちゃめちゃ上がった。最初から最後まで豪華できれいできらきらしていて最高!フォロワーに勧められる映画はいつもおもしろい。 

 

■2019年7月 ブラジル
●往路
・念願のブラジル出張に行ってきました!!!ずっと担当だったのでブラジルには絶対に行きたいです!!とあらゆる場面で言い続けてきて本当によかった~!!
・いろいろあって行きは1人、帰りは役員と2人だった。難易度が高すぎる。
・PCやらなんやらで荷物が重すぎるのと、自分のスーツケースと会社荷物のスーツケースの2つ持ちで腕がやばかった。翌朝筋肉痛になった。
・両替の列が長蛇でなんで!?と思ったら、わかった……夏休みだ……。
・出来心でスマホから会社のメールを見たら急ぎの対応が必要なメールがきていて、ゲーッとなりながらラウンジで会社PC開いたら全くつながらず、会社に電話して対応をなんとか終えたと思ったら搭乗時間になっていて、焦るからかばんのチャックが全く閉まらず慌ててかばんにぜんぶ突っ込んで空港爆走した。出発前から慌ただしすぎる。普通に間に合いました。
・行きはなんとスター・ウォーズ便だったんですよ!めっちゃテンション上がった~!離陸と着陸の時にC3POR2D2のアナウンスが入るんだよね。一人で大興奮してしまった……!
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・寝ぼけながらトイレに行ったときに、トイレの横にヨーダがいたんですけど、着陸前にもう一度トイレに行ったときにはヨーダいなくなっていてびっくりして二度見してしまった。いたもん!ヨーダ本当にいたもん!あのときカメラ取りに戻ればよかった~~~!
・絶対に限界まで映画を見たかったので、機内食を食べてお酒を飲む→映画を見る→3時間くらい寝る→お酒を飲む→映画を見る→3時間くらい寝る→機内食を食べるみたいなめちゃくちゃな12時間を過ごした。普段から乱れた生活をしているからほとんど時差ボケがなかった。さすがにフランクフルトでの乗り換えのときはめちゃくちゃに眠かったが……。
・しかも行きは7月、帰りは8月だったから機内の映画ラインナップが違うというね!!!めちゃくちゃラッキーだった~!
・羽田→フランクフルトは「スパイダーバース」と「ねことじいちゃん」を見たよ。「ねことじいちゃん」、めちゃくちゃ癒し映画だった。岩合さんは本当にねこちゃんの生き生きとした表情を撮るのがお上手だなあ。

・日本からブラジル、12時間→12時間の乗り継ぎなのでフランクフルトでのトランジットで絶対にシャワーを浴びるぞ!と計画していたのだけど、まずフランクフルト空港、構造が謎すぎる。おまけに巨大だし、猛暑で38℃だし、1人なので全ての荷物を持って移動しているので汗がやばい。
・ようやくモノレールで移動して(空港がディズニーランドとシーみたいな構造になっている)たどり着いたラウンジ、シャワーが、ない……。
・そして会社PCはうんともすんともつながらないし、羽田離陸前に問い合わせしたはずのシステム部署からはなんの回答もないんだよなあ……。
機内食を元気に完食しすぎて胃もたれがやばい。あとお酒を飲みすぎたのか頭が痛い。1人だからと羽目を外しすぎた。
・ラウンジのお姉さんに「このラウンジ、シャワーって……?」と尋ねたら「ここないのよ~」と言われ、「私が行けるラウンジでシャワー浴びられるところあります!?」と食い気味に聞いたら「めっっっちゃ遠いけど、あなたはまだ搭乗までに時間あるしきっと大丈夫でしょ。Good Luck!」と送り出される。長い旅の始まりであった。
・結局、ラウンジにたどり着くために乗ったモノレールをまた乗り継ぎ、すべての荷物とともに別の棟へ。棟を移動するたびに保安検査を通るのでフランクフルトで合計4回くらい保安検査を通った。多すぎない?
・結局片道40分かけて別のラウンジにたどり着く。大荷物を持って40分汗だくになりながら歩いたのでいい運動になって、胃もたれも酔いも解消された。シャワーめちゃめちゃ気持ちよかったな……。備え付けの石鹸とかボディソープがロクシタンで感動した。
・帰りの方が迷わないので30分くらいでラウンジに戻る。お姉さんが「あ、行けたのね!よかったー!」と声をかけてくれて嬉しかった。
・空港横断しているうちに元気になったのでラウンジでビールを飲む。おいしい。ビール、好きだ……。
・その後搭乗口が変わったりしたけれど無事乗り継ぎも成功。フランクフルト→サンパウロは「シェイプ・オブ・ウォーター」と「旅猫リポート」を見た。
・めちゃめちゃ眠かったので搭乗後即寝してしまった。しかし映画が見たい……という気持ちがよほど強かったのか4時間くらいで目が覚めて、寝静まった真っ暗な機内で体育座りしながら「シェイプ・オブ・ウォーター」を見た。雰囲気も相まって本当に最高だった。
・そのあとまた少し寝て、起きて「旅猫リポート」を見たのだけど時間の計算を間違えてしまって途中でサンパウロに着いてしまった。巻き毛のはちわれ、最高にかわいいな……。
・いかにも旅慣れていなさそうな女が巨大スーツケースを2つ持っていて不審だったのか、税関を抜けるときに別の場所に連行される。スーツケースが通るX線検査のやつってあるんだ……。ポルトガル語でやいのやいの言われるので負けじと英語しかわからない!英語で言って!と応答。英語が分かるいかつい男性職員が出てきて、全部開けるように言われる。とっさにびびるも、やましいことないんだからびびったら負ける!と思って自分からこれは私の服!こっちは仕事の資料!これはプリンター!これはおみやげ!とまくしたてる。
・ところで、持ってきていた仕事相手へのおみやげがおせんべいだったんですよね。軽くて振るとカサカサ音がする箱、怪しすぎる……。職員さんの眉間の皺がやばくなってしまったけど、仕事のスケジュールとかを話し続けたら信じてくれたのかほどなくして解放してくれた。

 

●滞在中
・空き時間にガイドさんがおいしいお店とか観光スポットに連れて行ってくれてすごく楽しかった。

・結局会社PCが繋がらないのは渡された手順書が間違っていたからと発覚。たまたま前に接続した人の履歴が残っていたおかげで気づけたけれど、出発直前の問い合わせメール以降システムからは全く音信はないままで、私の中でのシステムへの信頼が失墜した。
アメリカに行ってしまった推し上司(男3兄弟のパパ)と2年ぶりに一緒にお仕事ができてめちゃめちゃはしゃいだ。現上司が自分は勝手に夕飯を食べてきたときはぎょっとしたけど、私と推し上司が食いっぱぐれたおかげで2人でご飯を食べたりできたので結果オーライだった。推し上司……素敵の擬人化なんだよな……。 ・近くのスーパーで買ったブラジルビール、3本ともおいしかった!ガラナもおいしかった。
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・変圧器の片割れが消えて肝を冷やしたけどなんでそこに?という場所にしまわれていて事なきを得た。
・差し替えがありすぎて持って行ったコピー用紙はなくなるしプリンターはインク詰まるしでビジネスセンターに駆け込むもPCにロックかかっているしスタッフさんもいないしでフロントのコンシェルジュさんに泣きついたらパスワード教えてくれた。(いいんか!?)(ありがとう……)
・どこかで家族へのおみやげ買いに行きたくて~と雑談していたら、ガイドさんが最後の夜に一緒にショッピングモールに行ってくれて……!そのあと2人で飲んで、すっごく楽しかった。ガイドさんめちゃくちゃいい方だった……!!大感謝!!
・お疲れさま会として仕事相手が帰る直前のお昼にシュラスコに連れて行ってくれた。苦しいくらい食べた。おすすめされたカイピリーニャ飲んだんだけどあれめちゃめちゃ強くない!?

 

●復路
・あてをつけていた空港のスカーフのお店が閉まってしまっていて、おみやげを探して空港を走り回った。いいおみやげが買えたのでハッピー!
・一緒の便で帰る役員、ほっといてほしいタイプだったので楽だったな。むしろ先に飛行機乗っていたりして超慌てた。
サンパウロ→フランクフルトは「旅猫リポート」の後半、「響」、「人魚の眠る家」を見た。「旅猫リポート」、想像ついてたのに号泣してしまった。「人魚の眠る家」はいろいろと考えさせられて、しばらくぼうっと窓の外を見ていた。一番おもしろかったな。
・行きとは真逆にフランクフルトのトランジットの時間が短かったのでビールをぐびぐび飲み、FGOの復刻ルルハワを爆走していた。まあさすがに出張中に同人誌は作る時間はなかったよね……。
・フランクフルト→羽田では「ボヘミアン・ラプソディー」、「去年の冬、きみと別れ」、「言の葉の庭」を見た。「去年の冬、きみと別れ」そういうことか!!!とテンションが上がったけど、いやこれミステリーではないな!?と思った。ガバガバコミュニケーションと思いきやスーパー綿密コミュニケーションだったの、すごく良かったですね……。「言の葉の庭」は「天気の子」を控えていたので復習もかねて。やっぱりあの踊り場のシーンとラストがいいんだよな……。
・朝羽田着の便だったのだけど、どうしてもその日のうちにやっつけてしまいたい仕事があったので会社に直行。その前に空港でシャワーを浴びたかったのだけど、どこも満室で……羽田でもターミナルを移動したけど空いてなくて、疲れと重さと暑さでヨロヨロしてしまった。出待ちっぽい女の子がすごくいた。デイユースで割高でも部屋取っておけばよかった~~~~と後悔した。
・そんなこんなしているうちにバスの時間になってしまったので、とりあえず自販機でお茶を買って会社へ。このときお茶買っておいて本当~~~~に良かった。
・乗ったバス、たぶん空調が壊れており……そよ風のような生ぬるい風しか出ておらず、普通にめまいと頭痛がしてきてしまって、これはやばいとお茶を太ももで挟んで無理やり寝た(意識があったら熱中症でマジで倒れると思ったので)。車内の小さいモニターで「日本の夏は蒸し暑いです!熱中症にならないよう、こまめな給水を心がけましょう」と4か国語でCMが流れていて空しかった。
・幸いそんなに長い時間ではなかったので、降りて即コンビニに駆け込んで(行きと同じ状態なので巨大なスーツケースを2つ持っている)ポカリとお茶を買い、2本とも一気飲みした。
・会社に到着して午前中一気に仕事を終わらせて、時間休をとって近くの銭湯に行った。足がのばせる大きいお風呂、最高!!!!!!


■2019年12月 インド(未遂)
・治安の関係で、オフィス出発1.5時間前に出張が延期になる。そんなこと……あるんだ……。

 

2020年度は担当しているインドとタイに行きたいです!!と言っていたのだけど異動になってしまったし、そんなことを言っていられる状況ではなくなってしまったし……。

いろいろな出張、楽しかったな。実はブラジル出張でいきなりANAのステータスがブロンズになってしまい、これは……もう人生で今しかないのでは!?!!?とテンションが上がり、2019年後半はステータス修行をしたりしていました。修行を振り返るブログもそのうち書き残しておきたいです。